『大下島』を写真と紀行文で紹介 | 島プロジェクト

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ReportNo-28.png大下島
関前に浮かぶ謎多き柑橘の島
大下島/Ohge-jima

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▲漁師が存在せず遊魚船のみが並ぶ大下港
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▲北ノ谷だけに石垣の目立つ家が見られる
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▲島で見つけたい石と土と木でできた建物
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▲農道からの眺め。大下灯台は城跡に立つ
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▲大気神社は小大下島の神社名に変わった
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▲大下島内では最大級と思われるみかん蔵
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▲集落ではみかん蔵を見て回るのも面白い
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▲廃校ながら小学生が出て来そうな校門前
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▲集落内の道路は広くてすっきりしている

関前諸島に属する大下島(おおげじま)と小大下島(こおげじま)は離島。同じ関前諸島の岡村島まで安芸灘とびしま海道で行き、島の駐車場に解放されている関前開発総合センターにクルマを置いて渡ることにした。船は今治市営のフェリーと高速船が関前諸島の3島・大三島の宗方港・今治港を結んでいるが、フェリーは便によって両島に寄港しないので注意が必要。岡村港からの場合、目的地が今治以外ならば乗船券は港務所の券売機ではなく、船内で買うことになるのも注意点。

予定していた12:30分発の高速船第三徳海に乗り込む。大下島までの200円を払い、船員の方と出発まで立ち話。カメラを提げ旅行気分での行動は、船内で落ち着き払った他の乗船客から浮いた存在だった。小柄な船体に身を任せ、駆け出した海原からの景色は爽快そのもの。途中の小大下島での乗降客は無く、約15分で大下島に着いた。港は集落からせり出した舞台のようで、荷揚場が近接している為か広く感じる。聞こえるのは鳥のさえずりのみ。離島に来たという実感が湧いて来る。

無駄な物が一切置いてない港。その隅に腰掛け持参の昼食を取っていると、島の人に話しかけられる。港務所に新聞を取りに来たのだそうだ。以前は家まで配達があったが、現在は簡易郵便局に併設された港務所にまとめて届けられるのだという。中を覗いてみると、整頓された室内の長椅子に新聞が並べて置いてあった。港や港務所のすっきり感を生み出す背景は何なのだろうか。話していた人は柑橘農家の方で、お土産にと柑橘3種をいただく。それを港務所に置いて行動を開始した。

港の南北には埋立地然とした空地が広がる。南側はクルマエビ養殖場跡を埋めて整地したのだろう。北側の空地近くで柑橘農家のおばあさんに聞くと、島に一周道路を作った時に出た土砂でここは埋められたのだという。道路ができるまで船で島の裏側にあるみかん畑に通っていたそうだ。背負子が索道になりモノレールへ。農船が軽トラックになり農作業が楽になったと笑う。埋立地と集落を隔てる壁は昔の海岸線を示す護岸壁。そこで交したおばあさんとの会話は印象深い物になった。

一周道路沿いに謎の洞穴(立入禁止)があると聞いたが、そのまま路地へ入る。緩やかな坂道を奥へと進んでゆくと、大小の石を巧みに積上げた石垣が見えてきた。比較的平地が多い島の中で、石垣の上に家が建ち並ぶ風景はこの辺りだけのようだ。路地を抜け山腹に走る農道へ出ると、集落を見下ろせた。港を隔て島の代名詞である大下灯台が見える。二つの島に挟まれたような平地に広がる集落には瓦屋根が多く、古い家並みを期待させる。逸る気持を抑えて早津佐神社へ向けて下る。

元は大気神社だった早津佐神社は、拝殿の後ろに合祀小社が並ぶ。参道は道路と一体化し、石造りの鳥居に集会所の壁が迫っている。鳥居の笠木を避けた造りを見ると面白いが、近づけて建てた理由は不可解だ。集落内は様々なみかん蔵があり柑橘の島らしい。というのも港にある船は全て遊魚用で島に漁師は存在しないから。理由は浄土真宗の不殺生戒によるものという。明治・大正の頃には漁業組合が存在したので、漁師がいた時期もあったようだが、いつ途絶えたのかは定かでない。

集落内を東へ進むと信仰の中心であったろう300年の歴史を持つ法珠寺があり、集落を抜けると額彫りを施した古い物、軍人の物、新しい墓石が混在する墓地があった。島では珍しく平地にあるので、通りがかりのおばあさんに聞いてみると、昔からこの場所だという。海沿いではなく山沿いに家屋が密集し、南側が広く空いた集落や寺の位置など、平地の使い方に違和感がある。もしかすると昔は墓地の辺りまで深い入江で、現在の県道から南は干拓で新田開発したのではないだろうか。

そのまま進むと来島海峡大橋が見える南側の海に出る。続く道を辿ればアゴノ鼻灯台へ行けるが、小大下島行きの船の時間を考えて集落へ引き返す。港近くにある大下小学校は休校期間を経て2002年に廃校。現在は大下学習センターとなっている。廃校にありがちな感じがないのは、校庭や門に咲く花達のおかげなのだろう。それは学校から人が離れることなく関わり続けていることの証。生徒がいないのが不思議に思えるほどで、小さな配慮で印象が大きく変わる好例のように思えた。

集落を歩いてみると景観がすっきりしているという印象が残る。道沿いに点在するみかん蔵や倉庫の壁のせいかと思ったが、道端に置いてある物が少ない。あっても規則があるかのように整頓されていたのは、港で受けた印象そのまま。それが大下島の気風であるならば歴史や風土が生んだわけだが、謎や疑問を詳らかにする史書は残っていない。歴史の結果のみを目にするから謎になる。答えは現在に至る人々の営みにあると想像を巡らせるが、謎を抱えたまま島を後にすることになった。

文・写真/ナワタミツル
参考資料/日本の島ガイド シマダス・関前村誌

-大下島DATA-
◎所在地/愛媛県今治市関前大下
◎面積/1.75㎢
◎周囲/7.2km
◎宿泊施設/あり
◎お食事処/なし
◎トイレ/あり
◎駐車場/あり
◎島内交通手段/なし
※飲食物は乗船前に用意が必要


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