『情島』を写真と紀行文で紹介 | 島プロジェクト

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ReportNo-27.png情島
情緒あふれる時代と共に揺れる島
情島/Nasake-jima

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▲阿賀港の乗り場。干満によって欠航もある
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▲海沿いに納屋や作業場が並ぶのが島の特徴
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▲三家中のひとつである中森本家らしき家屋
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▲島内に水道は無く井戸水を使用している
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▲唯一の案内碑と男女の悲劇を伝える比翼塚
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▲島の風情を感じる神社から港へと続く路地
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▲引き潮で石積みの波止がよく確認できた
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▲倉橋島まで程よい距離感が気持ち良い浜辺
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▲浜には作業中に逃げ込んだ防空壕が残る

情島の情報は極端に少ない。阿賀漁協の裏から乗船という何かの取引のような案内だけを頼りに、JR呉線安芸阿賀駅から徒歩で阿賀港を目指した。住宅地を抜け橋を渡ると、港へと続く水路沿いにカキを扱う業者が多く並ぶ。いつもとは違う島への道程が新鮮。漁協を見つけるが案内表示も乗り場の看板も無く、裏に回れどそれは同じ。岸に並んだ漁船の中、屋根に『情島通船』と記した船を見つけて一安心。片道210円(往復で支払うと410円)、25分の船旅の始まりを船上で待った。

情島とは無人島の小情島との総称であり、今回訪れる有人島の方を大情島という。島へは1日3便しかなく、日曜祝祭日は運休。阿賀港12:30の始発に乗り、情島15:40発の最終で帰る為、滞在時間は2時間40分しかない。乗り込んだ第二たか丸は、今まで乗った中で一番小さい船。乗船客は他に4名で、買物帰りのお婆さんと、親元へ通うという方々。港の静寂を破る始動音、防波堤を抜けエンジン音が高まれば会話は困難な程。小さな船は揺れも大きく、離島へ向うという気分が高まる。

平家落人の隠れ家、海賊の狼煙台とも言われた石室古墳が島内で発見されているが、歴史は1654年に広島藩が馬の放牧を始める際、中森・松本・岡田姓の3世帯が島に入ったことから始まる。島は飼葉となる熊笹が密生し、冬でも枯れず都合が良かったという。とはいえ平地の少ない島で何故という疑問がわくが、理由はこの島に馬を放つと海鹿と番い名馬が生まれるという伝説による。何頭の名馬が生まれたか定かでないが、牧場は幕末の1867年まで続き馬島と呼ばれた時もあった。

情島漁港は島の南西部にあり、人浦の集落は桟橋に立てば見渡せる大きさ。1949年の記録に45世帯とあり、密集して戸数が多く見えるが、人口は当時の210人から現在7人。最年少は62歳と高齢化が著しい。海沿いに納屋が並び、その奥に母屋があるのは、漁業で生計を立ててきた島の機能面を見るようだ。かつて漁業の中心はイワシ類を獲ってのイリコ作り。最盛期には近隣の島から出稼ぎの人が来た程で、1970年代前半までは集落中で釜炊きや天日干しの風景が見られたという。

桟橋に繋がれた船はどれも島外からのもので、島の波止に繋がれた漁船は僅か。ひっそりと静まり返った集落を北から南へと回ることにした。歩き始めると錆び付いたり草に埋もれた漁具が目に入る。島の現状を伝える小さな風景だ。端に新築中の家が一軒。土壁や蔵などが残る路地は島らしい雰囲気で、空き家と廃屋と納屋に混じり人の気配を感じる家がある。道を山側へ外れると視界が開け、谷に僅かな耕地と柑橘畑。その中央に1990年から休校中の小学校と小さな校庭があった。

草に埋もれ荒れるに任せていた小学校は、2012年有志によって手入れされ、現在は有事の避難所となっている。校庭横の畑で手入れをしていた卒業生の方に伺った話では、校長は島に住み込みで教員は宿舎に泊まり、週末に自宅へ帰るという生活を送っていたそうだ。石垣の上に立つ校長用住宅へ行ってみると、見晴らしが良かったという庭に草が生い茂り、海を望むことはできなかった。そこから更に山へ向けて道は続くが、途中に猪対策が施されていて、それ以上進むことは止めた。

あちこちの畑の隅に置かれ雨水を貯めたドラム缶は、かん水用ではなく農薬の希釈用。段畑での作業を少しでも楽にする為の物だが、他の島ではあまり目にしない光景。集落の規模からすると井戸は多く、40戸あった頃の資料を見るとその数は2戸に1つ。イリコ作りに大量の水を使うことから増えていったとあるが、これも他にないこの島の特徴。水に恵まれない事が俗謡になり、感謝の気持ちは祭りとなって島に伝わってきたという。どの事柄からも水にまつわる先人達の苦労が伝わる。

路地に入り南へ歩くと新宮神社に行き当たった。由緒書きは擦れ判読が難しい。拝殿の前に情島の石碑と伝説を記した比翼塚があり、海に向け診療所にもなる集会所と消防庫が並んでいる。港に出ると石積みの波止はコンクリートで補強改修されているが、石造りの係船柱や階段が多く残り雰囲気が良い。南に抜けると眺めの良い浜に出る。石が多いのは波止の補修で潮流が変わり、砂が流されてしまったからだという。浜を伝い島の南東へ回ってみたかったが、時間的に無理と判断した。

南東側には旧海軍訓練基地の僅かな遺構や、明治34年に島を購入した松本勝太郎にまつわる開墾記念碑があるそうだ。みかん・桃を栽培していた松本殖産場は海軍の進出と共に荒廃。軍港に近いことが災いしたのは、近海で浮き砲台となった戦艦日向の悲劇からも言え、小さな離島は戦争の波に翻弄された。そして現在は人口減と高齢化の波が押し寄せ、近い将来は無人島になる確率が高い。観光施設を持たない島が立ち行かなくなる現実。これは島を有する全ての自治体で共有すべき問題ではないだろうか。

文・写真/ナワタミツル
参考資料/日本の島ガイド シマダス・阿賀町誌・情島の海島社会・情島調査記

-情島DATA-
◎所在地/広島県呉市
◎面積/0.69k㎡
◎周囲/4.4km
◎宿泊施設/あり ※事前に要連絡
自治会長さんTel.0823-28-2595
◎お食事処/なし
◎トイレ/なし
◎駐車場/なし
※阿賀港にも駐車場なし
 阿賀駅前に呉市営駐車場あり
◎島内交通手段/なし
※飲食物は乗船前に用意が必要

◎備考/連絡船は『日・祝祭日』は運休


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