『大津島』を写真と紀行文で紹介 | 島プロジェクト

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ReportNo-15.png大津島
国を思う魂に出会う島
大津島/Ohzu-shima


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▲危険物貯蔵庫跡。現在は倉庫になっている
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▲無料休憩所の養浩館。回天の資料展示もある
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▲手入れの行き届いた慰霊碑
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▲回天の実物大模型
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▲通路には運搬用トロッコのレール跡が残る
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発射訓練場跡
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▲魚雷見張所跡。眼下には周防灘が広がる
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▲魚雷見張所への道から馬島が見える
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▲飛行科の門柱。右に水上機の格納庫があった


大津島は山口県徳山湾沖南西10kmに浮かぶ。徳山港の傍らに置かれた回天が、これから向う島の特長を表している。回天とは人間魚雷と呼ばれた特攻兵器の名称で、大津島はその発射訓練基地が最初に開設された場所。全国に4箇所開設された中、唯一関連施設の一部が残っており、個人的に楽しみにしていた。港で戸惑ったのは、大津島へゆくのに、案内の行先は馬島となっていること。二つの島が400年前に砂州で繋がったと知ったのは、島から帰ってからのことだった。

フェリーで大津島・刈尾経由で馬島港まで44分。船内は慰霊と思われる人や釣り客でほぼ満席だった。馬島港に着いてからは馬島、大津島北部、回天関係担当と三人それぞれ別行動。まずは基地時代の施設が残る大津島小学校へ向うことにした。校庭の端に手前から奥へ変電所、危険物貯蔵庫、点火試験所の跡、石段と並ぶが、石段以外はそれぞれ再利用されており、雰囲気はいまひとつ。壊されるよりは遥かに良いのだが、もう少し史跡らしい重みが来島者としては欲しかった。

回天の資料や土産物を扱う無料休憩所養浩館を右に更に登った先に回天記念館がある。戦没者の出身地と名を刻んだ烈士石碑が左右に並ぶ記念館へ続く道には桜が満開。咲いた花なら散るのは覚悟という歌詞そのままの風景がそこにあった。回天碑の前には詩吟を捧げている人達がいて、漏れ聞こえてきた話では、毎年11月第二日曜日には慰霊祭が行われるそうだ。記念館の脇に眼下の海に向け、回天の実物大模型が置いてある。黒く塗られたその姿は通称の人間魚雷そのものだ。

回天は海軍の誇った九三式魚雷三型を流用して作られた。天を回らし、戦局を逆転させるという願いを込めたその名が、この兵器を生んだ戦局を物語っている。制御の利かない魚雷を潜水艦に仕立て、操縦で敵艦船に命中させる。技術不足を人命で補うという、今では信じられないことをこの国はやった。祖国を愛する人を救うためにと、見たこともない新兵器の要員募集に志願し、厳しい審査を通った若者が全国から大津島基地に集まり、1944年9月5日から訓練に身を投じた。

記念館の展示物で驚いたのは、映画『出口のない海』で使用された操縦室のセット。狭いなと見ていたそれは、撮影用に直径を実物より20cm増して作ったものだったこと。この狭い空間で隊員達は最後に何を思ったのだろうと、考えずにはいられない。視聴覚コーナーで観られる元隊員の証言は必見。壁に架かる遺影は青年の顔ばかりで、残した手紙に胸が詰まる。戦死した回天搭乗員89名、訓練中の事故などでの殉職者15名、戦後自決者2名。母艦となる潜水艦ごと戦死した回天整備員35名、潜水艦乗組員812名。回天搭乗員の多くは20歳前後だった。

訓練場へはトンネルを通ってゆく。中には、搭乗員と回天を基地から運んだトロッコの軌道跡が残っている。先の見えないトンネルを歩いていると、俗世から徐々に離れてゆくような感じを覚えた。眩しい出口の先に写真で何度も見た訓練場の建物があった。回天の訓練コースは5つあり、その内3つがここを起点に馬島や大津島、野島を回り基地へ戻るというものだったそうだ。輝く沖を眺め、当時の風景を想像してみる。隊員達の手紙を思い出し、海の青さが一層目にしみた。

魚雷見張所を見るために山に登る。登り口は、先に通った無料休憩所の前。約20分というコースを登っていると、登山で訪れた人達に出会った。話を聞くと島の北から順番に登り、ここはこの日三つ目だという。大津島は山登りも楽しめる島だと教えられた。戦時中高射砲が据えられていた山は滞在時間を考え見送ったが、その山も登られたそうだ。見張所は名前通り見事な展望で、繋がる馬島もよく見える。担当分としての仕事は終えたので、下山して馬島へ向ってみることにする。

こじんまりとした港が良い雰囲気の馬島には八十八カ所巡りがあり、散策中にそれらしい石仏を何カ所かで見かけた。島西側の高見に登ると視界が大きく開け、周防灘が視界いっぱいに広がる。条件が揃えば、遠く国東半島まで見えるのではないだろうか。しばし見入るも帰り時間が迫り、島を半周もできず港に戻った。予め担当分けをしているとはいえ、島の北側に位置する海水浴場のある刈尾、ガマの群生地のある瀬戸浜、石風呂の残る本浦集落を回れなかったのが心残りだ。

全てを一日で観るには大津島は広い。フェリーを選んで車を渡すのが良いだろうが、港間で乗り捨てられるレンタサイクルを効率よく使うのも手だ。また、ふれあいセンターの貸しロッジに泊まり、島の夜を体験するのも良いかもしれない。
60余年前、特攻隊員を育て戦地へ送り出した大津島は、訪れてきた島の中でも異質な印象をこころに残した。隊員達が今の日本を見たらどう思うだろうか。こんな国になったのかと嘆きはしないだろうか。帰りの船の中でそんな事を考えた。

文/ナワタミツル
参考資料/大津島観光マップ・回天記念館しおり

-大津島DATA-
◎所在地/山口県周南市
◎面積/4.73k㎡

◎宿泊施設/あり
◎お食事処/あり(不定休)
◎公衆トイレ/あり
◎駐車場/なし
◎島内交通手段/あり
・レンタサイクル(大津島ふれあいセンター)
◎備考/
食物は乗船前に用意しておくのが無難

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