三角島 & 大崎下島・久比
みかんの季節に訪ねる島々
三角島 & 大崎下島・久比/Mikado-jima & Ohsakishimo-jima・kubi
▲厳島神社と同形の美加登神社の鳥居
▲ゲージなど出荷用の道具が集められた小屋
▲傾斜地の農地では、撒く水の確保が大切
▲農家の苦労と共に実るみかん
▲運搬車は収穫の大きな力
▲先の尖ったみかん農家特有の梯子。久比
▲索道と呼ばれる収穫用ロープウエイ。久比
三角島は、大崎下島・御手洗を訪問した際に素通りしたまま気になっていた島。久比(くび)港に立ち寄った際に見かけたフェリーが印象的だった。フェリーというよりも渡船と言ったほうが良いだろうか。最大積載量は旅客30名に車両2台という小ささ。デフォルメされたような船体が可愛らしい。今回は島へ渡ることももちろんだが、この渡船に乗ることも楽しみのひとつ。片道運賃130円を船員に払い、船側に設けられた客室で出発を待った。
目の前に見える三角島へは約10分の船旅。乗客は自分の他はお婆さんひとり。天候は生憎の黄砂で景色は霞んでいる。空は濁り海の色も沈んでいるが、待合室のような椅子に座り、黙って海を見つめながらの島に渡る時間がなんとなく心地良かった。三角港に着くと、船はお昼休みに入るようでエンジンが止まり、小さな桟橋は静けさに包まれた。船員の方に話を聞いた美加登神社へまずは向ってみることにする。
美加登神社は鳥居が赤く、厳島神社と同じ形をしている。祭神は同じ市杵島比売神(市杵島姫命)で、神紋も同じ。島の方にいただいた神社の由緒を要約すると、6世紀末に九州宗像神社の祭神の御神託で、佐伯氏が瀬戸の島々に鎮座する適地を探して、三角島に仮宮を建てるも島が狭かった為、更に適地を探し現厳島に決めたという。島の旧跡には小さな祠を建て奉っていたが、18世紀末に干拓された現在の港横に遷座したのだそうだ。
島には柑橘農家が多く、南に開けた斜面を柑橘類の畑が広く占めている。集落の細い路地に入ると小さな選果所があった。みかん、八朔、甘夏、デコポン、伊予柑、はるみ・・・吊り下げらた出荷用のゲージに様々な品種が記してある。集落を抜け、農道を登る。作業用モノレールの這う急斜面に果実が輝き、その元にはコンテナを積んだ運搬車。畑の中からラジオや話し声が聞こえてきたり、収穫期とあって忙しく働く人が目についた。
集落の端に作業船の修理などを行う寺岡三角工場があり、巨大なクレーンが動いていた。海には修理を待つのか、さまざまな船が浮かんでいる。工場施設に近づいて撮影をしたかったが、関係者以外立ち入り禁止の看板。近くに人も見当たらず、この後の久比を回る予定も考え、交渉を諦めて早めに三角港へ戻ることにした。太陽の見える間隔が少しずつ長くなってきた。陽射しの中、出港までの時間をのんびりと過ごす。
港から海を眺めながら久比地区へ向う。波に洗われる波止は旧い石積みに新しく継ぎ足してあるのか、二段になったその構造に興味がわいた。県道が通る久比大橋から奥へ大きな船溜まりがあり、家並みも山間に沿って奥へと続いて、集落を見下ろすように高くそびえる段々畑には圧倒される。一体どれだけの労力が費やされたことだろう。所々放棄されているのか、みかんでなくセイタカアワダチソウの黄色が目立っていたのが寂しかった。
歩いて感じたのは同島の大長や御手洗に比べ、目立って観光地化されていないせいか静かな地区だということ。そんな中を丁寧に歩いていると、時が止まったような小さな風景を多く見かけた。土地や建物を使い尽くす為に壊しては作ることを繰り返す都市部に比べ、ここには立ち止まることを許す余地があるようだ。高齢化や過疎化という問題が関わっているのだろうが、忘れられたような光景には、作ろうにも作れない不思議な魅力があると思う。
文/ナワタミツル
参考資料/日本の島ガイド シマダス(財)日本離島センター、他
-三角島 DATA-
◎所在地/広島県呉市豊浜町大字大浜
◎面積/0.58k㎡ ◎周囲/4.1km
◎宿・お食事処・公衆トイレ/なし
◎備考/自販機もないため、
必要な物は全て乗船前に用意
-大崎下島 DATA-
◎所在地/広島県呉市豊町久比
◎面積/17.82k㎡ ◎周囲/26km
◎宿・お食事処・公衆トイレ/あり
◎島内交通手段/あり
・バス ・レンタサイクル
※大長港隣の『マルサン百貨店』に、
レンタサイクルあり
◎備考/久比地区周辺では、
トイレと駐車場は久比港にあり
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