『大崎下島 御手洗』を写真と紀行文で紹介 | 島プロジェクト

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ReportNo-03.png大崎下島・御手洗
歴史の詰まった凪の島
大崎下島・御手洗Ohsakishimojima-mitarai


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▲町並み保存地区。白壁が美しい

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▲恵比寿神社の鳥居

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▲石垣の上に建つ満舟寺

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▲一輪挿しの花は、一軒ごと花の組合せが違う

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▲地名の由来のひとつ、菅公御手洗いの井戸


安芸津から大崎上島大西港へ、同島明石港から大崎下島小長港へ渡る。小長港からはまず平羅島、中ノ島(共に無人島)を橋で飛び石を踏むように渡り、愛媛県岡村島まで足を伸ばす。岡村島は江戸中期に潮待港で栄えた。港で散開し、裏通りに入る者、島の方と話し込む者、思い思いに被写体を探す。下島との御手洗瀬戸、小大下島との小大下瀬戸を眺め反時計周りに島を一周。その途中、古墳時代前期の石棺が散在する正月鼻古墳公園で休憩する。穏やかな潮風が気持良かった。

小長から下島を反時計回りに豊島へ向う間の久比港で、三角島への渡船時間を調べる。小さくかわいらしい渡船に乗れば5分で三角島に渡ることができるが、これからの行程を考え今回はそれを見送ることにした。豊浜大橋を渡り、海を右に見ながら豊島を一周。東に集落、西にミカン畑が位置するこの島は漁業が盛んであるそうだ。豊島と上蒲刈島を結ぶ豊島大橋(2007年11月当時架橋途中)をくぐり、島の最南端部でしばし海を眺める。目の前に横たわる大子島、尾久比島。煌めく海原に船の往来が激しい。

下島に戻り、沖友を抜け循環線で御手洗へ。御手洗は江戸時代に風待ち潮待ちの港町として栄えた。重要伝統的建造物群保存地区に選定されていて、江戸後期から昭和初期の伝統的建造物が数多く存在している。そういう場所であるため被写体も多いだろうと、今回一番多くの時間をここに取った。歴史好きの僕としては気持ちが逸る。メロディを流しながら島内を走る循環バスをやり過ごし、御手洗港近くにクルマを止めて散開。三人分かれて町並みの切り取りにかかる。

海に向け鳥居の立つ恵比須神社、幕末の歴史を持つ七卿館、住吉神社、遊女寄進の玉垣、江戸時代の防波堤(千砂子波止)に高灯籠・・・目につくもの全てに歴史が詰まっている。町並みに入ると戦国時代の石垣が残る満舟寺、江戸時代に茶屋であった若胡子屋跡、龍馬も寄ったと伝わる金子邸などがあり、格子窓に掛けられた一輪差しがあちこちに見られた。島民の方々が作られたと思われるそれは、自分の町を愛する気持ちと、訪れた者への労りの気持ちが伝わってくる。

帰りの船の時間が迫り、小長港へ向う。途中にある大長は、ミカンで有名なあの大長。石垣と段々畑が見事。御手洗に時間をかける代わりに大長に時間を割けられなかったのが残念。港で船を待つ間、季節を変えてまた来ようと三人で話した。豊島大橋が架かった今、大崎下島は本州と陸続きと言ってもよいだろう。広島市内に住む僕らにとって、下島へのアクセスはかなり便利になった。しかし、今度来る時もやはり船を選びたい。訪れる者にとっては橋の利便性よりも、港で船を待ち、海を渡るという過程に大事なモノが詰まっているような気がするからだ。
架橋や高速道路の割引で、瀬戸内海の各フェリー会社は今、苦しい経営に陥っている。甚だ勝手な心情だけれど、瀬戸内に浮かぶフェリーが減ってゆくことがなんとも切ない。

文/ナワタミツル
参考資料/日本の島ガイド シマダス・他

-大崎下島 DATA-
◎所在地/広島県呉市豊町久比
◎面積/17.82k㎡
◎周囲/26km

宿・お食事処・公衆トイレ/あり
◎島内交通手段/あり
・バス ・レンタサイクル
※大長港隣の『マルサン百貨店』に、
レンタサイクルあり
◎備考/御手洗地区の外れの
『歴史の見える丘公園』入り口に、
無料駐車場あり

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